• ひとりでのんびりやってます。

この本棚は、かつて読んだことのある本、読もうとしたけど読めなかった本、いつかは読みたいと思っていた本などを掲載しています。本棚も定期的に断捨離しないと、パンパンになってしまいますので、宇部市立図書館で借りれるものは借りたりしています。市内の古本屋で手に入らない本はアマゾンというとても素晴らしいサイトで購入しています📚


にっくき土方さま(上下巻)
海老沼三郎
富士見ファンタジア文庫

今は100円ショップになっている、その当時の宇部市内では1,2番に大きい本屋さんで買った本。
幕末物の作品を貪るようにして読んでいた時期の中学3年生頃に買った。司馬遼太郎先生の燃えよ剣とか新選組血風録竜馬がゆく武田鉄矢×小山ゆうお〜い!竜馬などを読破した後に、なにか面白そうな歴史小説はないかと手に取った本。いわゆる学園SFファンタジー小説というジャンルで、一時代はすごく流行った。

剣道部員の女子高校生と新聞部員の男子高校生が幕末にタイムスリップして、坂本龍馬の未来を変えようと奮闘する話。さすがSF小説だけあって、タイムスリップする時のこじつけ感やさすがにそりゃぁねぇだろう、といったツッコミどころは満載だが、あくまでそういう内容であると納得したうえで読み進めるならば、何も問題は無い。
幕末の時代的な流れや新選組を知らない人にとっては最初から最後までチンプンカンプンな話だが(興味がない人はこの本を手に取らないだろうが・・・)、あれよあれよと場面が進んでゆき、最後の感動的なクライマックスを迎えた時の読後感はなかなかのものでした。
ふと思い出して、アマゾンで探しても見つからず、タイトルが”にくっき”ではなくて”にっくき”であることに気づくのにかなりの時間を要したが、この本は宇部市内はおろか山口県内の古本屋を探し歩いても見つからんだろう。欲しい本がネットで買える便利な時代になったものだ。

この本を買った時、本屋のレジの男性店員に鼻でフンっと小馬鹿にしたような笑いをされたのを今でも覚えている。


初代総理伊藤博文(上下巻)
豊田穣
講談社

この本は中学1年生くらいの時に、当時近所にあった本屋さんで買った文庫本の上下巻。タイトルのとおり、わが山口県が輩出した偉大なる政治家、初代総理大臣伊藤博文公の伝記である。何気なく手に取って、何気なく買った小説のつもりだったのだが、とんでもなく難解な内容で、十数ページ読むだけでも厖大な時間と労力がかかり、途中から文字を追うだけで内容はチンプンカンプンなために途中で心が折れて断念したのを覚えている。またいつかリベンジしたいと思いながらも、なかなか手を出せずにいた。意を決して、アマゾンで上下巻を購入。その気があるうちに読んでしまおうと読破した。いやいや、この活字の小ささもあるが、こりゃあ内容が相当難解やで。自分が能足りんの出来損ないであったという以前に、この本を中学生で読むのは無理で。
今でもかなり苦労した。特に下巻からは近現代の分野に突入するので、近現代史の勉強をサボってきた人間にとってはとても辛かった。上巻は幕末から維新の内容なので、サクサク進んだが、内容が濃いのでそれでも時間はかかった。作者の精密な実地調査とすごく丁寧に文献を調べられている事に脱帽するばかりである。経歴も凄い方だと思った。
サラッと内容を解説するならば、上巻は主に幕末から維新、近代初め頃までで、前半は維新のオールスターを中心に、当時俊輔だった伊藤博文が脇役ながらも政治の表舞台に立ち頭角を現すまでの準備段階といった位置づけである。中盤以降は大西郷の独り舞台みたいな状況で、時代が西郷に味方しているのではないかと思えるくらいだ。西郷一人で幕府を倒したと云われる所以である。西郷さんはこの時が人生の絶頂だったろう。後半からはいよいよ政治家としての活躍がはじまり、時代を動かす大物になってゆく。
下巻からは維新の功労者が時代の波についてゆけずにお払い箱となってゆくなか、持ち前の周旋屋としての本領を発揮し、うまく時代の波に乗ってしたたかに政治の世界で生き残ってゆく。日本を取り巻く厳しい状況の中で、博文をはじめ多くの偉大な政治家はこの難局を乗り切ったと思う。日本が欧米列強の植民地とならずに済んだのは、運もあったであろう、問題もあったであろうが、当時の政治家に、この日本をなんとかして守ろうという強い思いを持っていた人が多かったからに違いない。日中戦争、日露戦争、第一世界大戦、そして太平洋戦争に至るまでの道筋の種が蒔かれているのもこの時期である。それを回避できる途中の分岐点はいくつもあった。しかし、大日本帝国のあり方では、戦争に突入するのは避けられないこともわかってくる。
伊藤博文公も人間である以上、光が強ければ闇の部分も同じくらい強いわけだが、作者は闇の部分は上手くオブラートに包み、光の部分のみを強調されている。
近現代はきな臭いことが多いので、やっぱり幕末までが面白い。近現代史を勉強し直して、またいつか・・・。


武田信玄(全4巻)
新田次郎
文春文庫

NHKの大河ドラマで高視聴率を叩き出し、流行語大賞も生んだ名作の原作。当時の時代の良さもあって、少年なりに日本の明るい未来を信じて疑わなかった時期のドラマでもある。今と違って、一番の娯楽といえばテレビドラマぐらいなもので、何時に何の番組があるとかは、とても大切なことであった。だから、周りの皆と話題も共通していて、それはそれで楽な時代でもあった。多様なメディアが発達してしまって、テレビの視聴者が減るとか、本を読む人が減るとかいうことに繋がったのは、残念で淋しい時代になってしまった気もする。
本のタイトルのとおり、武田信玄公の輝かしい一代記である。暗黒で、きな臭い事件も数多いが、武田家を一つの会社と見たならば、この時代は間違いなく黄金時代であった。死が間近に迫り、信玄の命脈が尽きるのと共に、武田家の命運も暗い翳りを見せ始める。織田信長の著しい勢力拡張、金山の産出量の減少・・・。その中でも特に残念だと感じてしまうのは、武田軍団の強さの源であった軍団の制度、国造りの制度というものが、逆に、勢力拡張の足枷になってしまったという現実である。甲信を中心とした領土の維持が精一杯だからである。
この本も大河ドラマも、京の都への上洛説をとっており、上洛を目指すまでの筋道になっている。上洛をして時の政権(形だけの)である室町幕府を立て直し、足利将軍を補佐して天下を掌握するというのが大意であろうが、現実問題として、三河以西の尾張、美濃を抜き、浅井・朝倉連合軍と合流し、反信長勢力を糾合して入京するという理想的なストーリーは無理であると思う。
もちろん、信玄本人も気持ちとしてはあったであろうが、史実に基づく戦いの経過を見るかぎりは、徳川を攻め、三河まで進攻することにより信長を牽制するので、あとは中央の勢力でよろしくやってくださいというのが目的であったか、あるいは、足利将軍の命令を口実に、この機に乗じて駿河、遠州、三河を侵食してやろうというのが魂胆であったと読めなくはない。いずれにしても、武田軍団の限界というものを信玄自身が気付いていないはずはなく、このまま何年もかけて戦争を続けてゆくことを考えてはいなかっただろう。後継者の勝頼は、信長には到底及ばない、やがては滅ぼされる。だから、自分の命あるうちに、少しでも領地を拡張しておき、武田家が1年でも2年でも長く存続することを願っての侵攻作戦ではなかったろうか。「3年は喪に服せ」という言葉によく表れている。本当に言ったかどうかは怪しいが。
もし、信玄が上洛したなら・・・、と空想を拡げるのは本当に面白いもので、有名な歴史シミュレーションゲームのように、ボンボン城を落として簡単に領地を拡大できれば・・・、とは思うが、本当に大変なのは上洛後に、どう政権を維持してゆくかだろう。戦争に勝って政治で負けるという言葉もあるし、これは経営も同じようなものだろうか。大河ドラマのように家臣が想いを一つにし、上洛という目標に向かって突き進む姿は、組織として本当に強いと思う。何話かは忘れたが、軍議の回はたまに見たくなる。「わが軍勢、京に上るのだ!」「是が非でも京の都に上りましょうぞ!太刀を石に代えても!草の根を喰ろうても」「わが軍勢動けばなんとかなりまする」
今はこんなに熱い人達はいないだろうね。“いいね”で終わる・・・。
この本はブックオフで買いました。4冊で440円。100円の値段が付けられるだけあって、状態はそれなりでしたが、読むには問題ないわけで、良い買い物をした。何十年後かにまた読むかな。


宮本武蔵(全8巻)(新装版)
吉川英治
新潮文庫

この本をはじめて読んだのは、確か中学3年生の頃だった。当時はまだ、この本の奥深さを解する力が無かったせいか、2巻くらいで挫折した記憶がある。バガボンドの原作となったことから、ご存知の方も多いかもしれない。私は10年周期くらいで読み直している。原作は変わらないのに、読むたびに内容が変わるのは、読み手の人生経験が深くなったのと、置かれている立場が変わっていくからであろう。人間の心理描写が特に優れていて、時代が変わっても、人間の本質は変わらない事を教えてくれる。今までの人生で出会った身近な人とか、かつて出会った人にあてはまるような登場人物がいるのが面白い。あれ、これはあの人に似てるなぁ~、とか( ´艸`)
時代は戦国時代末期の関ヶ原の戦いから始まる。武蔵と又八が、それこそ身ひとつで槍一本ひっさげて、儚い夢を抱いて戦いに参加する。ただ残念なのは、時代は戦国のクライマックス。自分の腕っぷしだけで、一城の主、否、一砦の主くらいならば、という夢を叶えるためにはもう40年早く産まれなければならなかっただろう。
戦国の世が終わり、これから平和な国造りを進めていくうえでは、領国を安定的に統治できる人材が必要とされ、戦争が強いだけの戦馬鹿はあからさまに淘汰されてゆく。それまでは、大将首をあげろ、領国を拡張せよ、という教育を受け育てられた子が、さあ、これからというときに、いや、もう君達の活躍できる場所は無いからと言われ、じゃあこれからは百姓でも、ということにはならない。
彼らはこのあまりにも理不尽な時代の流れに抗う力もないまま、鬱屈した怒りを抱えながら15年後の大坂の陣まで待たねばならない。
このとき20歳だった者はまだいい。35歳だから。なんとかギリギリ戦える。30歳の者は45歳、40歳の者は55歳・・・。人間50年の時代に、今から槍一本で突っ込むことはできない。戦国出世レースが幕を閉じてる段階では、一兵卒は使い捨ての駒にすぎない。手柄をあげるためには、ある程度の地位を手にしてなければならない。しかし、それは出世をするための手柄ではなく、今の立場を守るという意味の手柄であって、きわめて保守的で受動的なものである。どこかの大名に剣術指南という名目で抱えられる者(これも針の穴を通すくらいかなり狭き門だが)や自分の流派を打ち立て、剣術道場を開くという特異な才覚を持った者はまだ恵まれている。
だが、多くの者は日の目を見ないまま埋もれてゆく・・・。
時代が経た現代も状況はそんなに変わらない。ましてや、アフターコロナではどんな厳しい時代が待っているかはわからない。
今はただ明るい未来が来るのを待ち望むだけである。



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