• ひとりでのんびりやってます。

この小径では、新聞や雑誌の記事で気になったもの、目に留まったものを自分勝手な解釈と先入観で申述させてもらいます。なにゆえ浅学者でございますので、誤りなどがございましたら、温かく、そして優しくやんわりとご指摘いただけましたら幸せます。


2021年7月21日(水) 毎日新聞9面掲載 経済欄より


銀行という店舗が無くなるのだろうか。店舗はもちろん、通帳もキャッシュカードも存在しない、日本初のデジタル銀行「みんなの銀行」である。
昔からそうだが、自分は銀行の窓口に行くと何とも言えない敷居の高さを感じる。窓口で受け付けをして、名前が呼ばれるまでの、あの緊張感。何か自分がお願いをさせていただいているような感覚である。お前のために手続きをしてやっているんだ、大人しく待っていろと言わんばかりである。ひかえおろう!下に~、下に~!といった感じだ。
窓口の係員の背後に、上役であろう人が後ろで机を並べて、押し寄せるお客様を睥睨している。チロッ、チロッとチラ見をして品定めをしているかのようだ。年功序列、縦割りの男性社会、前例主義、旧態依然、長い物には巻かれろといった言葉を連想させる。大手の銀行はもちろん、地銀、信金も似たような感じだ。お金を扱う商売だからこうなってしまうのだろうか・・・。
いずれにしても、ネットのみで完結できる業態が、急加速する人口減時代の主流になってくるであろう。もう待った無しだ。金融機関も積極果敢なコスト削減に取り組まないと潰れてゆく。口座開設は数分でできるみたいだが、自分は今のところはまだまだ抵抗があるのが正直な感想である。やがては選択の余地はなくなるだろう。

不動産屋も他人ごとではない。そのうち規制緩和で無店舗営業が可能になって、今のような不動産屋さんに行って物件を見つけるというスタイルは過去のものになるかもしれない。


2020年10月22日(木) 毎日新聞7面掲載 経済欄より

AIとロボットの導入により、2025年までに世界で8500万人が失業するとあるが、2025年といえば、あと5年後なわけで、5年もあると考えるか、5年しかないと考えるかは、物事に対して楽観的思考の人か悲観的思考の人かで分かれる部分もあるだろう。私は後者の部類で、5年しかない、と考える。
さらにデジタル化に対応する職種で9700万人の新たな雇用が創出される可能性があると記事にはあるが、デジタル化で失業した8500万人が、新たに創出された職種に移行するわけではないので、差し引き1200万人の雇用が創出されるという単純計算は成り立たない。
パソコンが普及した頃のように、今までは何人かの事務員さんがやっていた事が、パソコン1台でそれ以上の成果をあげることができるので、事務員さんは一人で済むといったことに近いだろうか。
それとも、それ以上に凄い変化が起こるのかは、蓋を開けてみないとわからない。未来のことは誰にもわからない。
不動産業では?と考えたとき、勝手な空想を広げさせてもらうならば、今まではその町にある不動産屋さんを訪ねて物件を探したり、現地を案内してもらっていたのが、オンライン化により、9割方契約が決まってしまう時代になるであろう。現地は高性能な360度ビューワで案内。契約書も重要事項説明もオンラインで行い、押印廃止により印鑑を捺印する必要もない。売買の場合は、実際に現地を確認しないと恐ろしいところがあるから、旅行がてらご自身で確認してくださいとなるだろう。
少し前にあった地面師のような詐欺事件も、オンラインでかなり防げることができるようになるのではないだろうか。
だから、例えば宇部市内にあるアパートでも、普通なら宇部市内の不動産屋さんが管理していたりするのが、今後からは、管理しているのは東京都の大手不動産会社の系列子会社で、案内はスマホを介して行い、日頃の物件管理は宇部市内の警備会社がやっていて24時間対応しているという時代になるかもしれない。かなりの高確率で。
デジタル化の完全なシステマティックに乗り、その仕組みの一部分として生き残りを図るのか、昔ながらのアナログ人情時代を貫くのか、それはその不動産屋さんの経営方針なり考え方なり経営者の理念に負うところが大きいだろう。
どちらかの道を選ばなければならないだろうが、どっちつかずでは消えるだろうと思う。大手の傘のもとで出先機関的な生き方をするほうが生き残れる可能性は高いようにもあるが、コンビニと一緒で完全なるシステムの一歯車として組み込まれて働くことは、その人にとってはどうなのか、ということだ。
では、昔ながらのやり方で独自路線を貫くのはどうか?これは大手の巨大な資本力の及ばない範疇での商売に特化するなら可能性はあると思う。長年やっていて、昔からの人間関係で経営が成り立っている不動産屋さんが、今辞めたらお客さんに迷惑かかるから、あと何年くらいは続けたいとか、工務店さんや建設会社さんが、自社で建てた物件は自社で売りたいから不動産もやっているといった業態であるならば生き残れるだろう。ただ、どこの世界もそうだけど、同じ業界内での厳しい競争にさらされるから、そこはそこで生存競争の原理が働くのだけれども。
私の場合は、いかにして生き残るかというよりも、続けていけるのかどうかという決断にやがては迫られることになると思う。


2020年8月28日(金) 宇部日報1面掲載

大好評のオンラインツアー第2弾をやるみたいです。リンク貼っときます。

あうたび合同会社

永山本家酒造場

宇部蒲鉾

高級活魚繁光

楠こもれびの郷

ときわ動物園

たましげ琴製作所

木嶋製麺所

宇部観光コンベンション協会


2020年8月12日(水) 宇部日報1面掲載

地元のPRです。特産品を購入して、オンラインでツアーをやってるみたいです。興味がある方はどうぞ。
会社名・店名にリンク貼ってます。

あうたび合同会社

永山本家酒造場

繁光鮮魚店

宇部蒲鉾

まこっこ農園

パティスリーケンジ

一久食品

琴崎八幡宮

石炭記念館

宇部観光コンベンション協会



2020年8月12日(水) 毎日新聞3面掲載 なるほドリより

8月28日から不動産の取引において、水害リスクの説明を行う義務が追加される。不動産を取引する場合(賃貸・売買)には、契約書とは別に重要事項説明書というものがある。不動産を取引された方はご存じだろうが、その名前の通り、重要な事項を説明してある書類で、その不動産に関する特有の注意事項(特約)が記載されている。
例えば、住宅を購入した場合、新築の場合は建物自体には経年劣化というものが無い(新築だから当然だ!)が、中古住宅の場合は年数に応じた劣化や住んでいた方の使用状態、あるいは、建てた時代特有の不具合があるので、そういったことを購入者に詳しく漏れなく説明しなければならない。これは4月1日から改正された民法に依るものであって、これらに手落ちがあった場合は契約不適合となり、最悪、契約解除(無効)という恐ろしい結末が待っている。これは不動産屋にとって、一番恐ろしいことであると思う。契約無効とは、その契約が本来無かったものであるからだ。無かったものだから、それまでに発生した費用を負担せねばならない可能性がある(不動産屋が!)。
これまでならば、現状有姿(ありのまま)という魔法のような言葉で済んでいたものが、この建物の〇〇は相当の年数が経過していますので、改修の必要があります。とか、今回の義務化のように水害のリスクについてハザードマップを添付して水害の危険性を説明しなければならない。等々、不動産の数だけ問題の数もあるわけで、今後、中古住宅はホームインスペクション(資格を持った専門業者による建物調査)も必要になってくるだろう。詳しい事は契約する際の不動産屋さんを信じるしかないわけだが、現状では実績が少ないため、まだまだどこも手探りというのが真実ではないだろうか。


2020年8月4日(火) 毎日新聞2面掲載 総合欄より

コンビニはもう完全に飽和状態である。これ以上出店しても、儲からんだろう。現在はセブンイレブンローソンファミリーマートの大手3社にほぼ収斂されている。昔のように、出店すれば儲かるというコンビニのビジネスモデルは崩壊した。20年くらい前までは、なぜコンビニがこんなにも乱立しているのか不思議だった。コンビニ同士で潰し合いをする必要があるのかと。ほんの数十メートル毎に出店していたから、利用者は助かるが、経営者は大変だっただろう。事実、2~3年くらいで勝負に敗れた店は閉店して別の商売に変わっていった。当時は上記の3社に加え、ポプラサンクスミニストップセイコーマートam/pmデイリーヤマザキ、等々、コンビニの種類も多かったし、それぞれ特有の商品と特徴があった。その特徴を掴み、うまく食事のローテーションを組めば、食事の心配をする必要が無いから、学生にはとても心強い存在だった。それらを利用できる環境というのは、今考えると、プチ贅沢だったのかもしれない。例えば、ポプラだとお弁当に暖かいご飯を入れてくれるので、カレーを食べるならポプラだと決めていたし、am/pmはソフトクリームが安くてハーゲンダッツ並みに美味しかったから、夏の暑い日なんかは必ず寄っていた。セイコーマートはお弁当の内容が凄く良かった。その店の地域的なものとか、その店独自の取り扱い品もあったかもしれないので、他ではどうなのかわからない。その後、吸収合併されたりで、その商品を引き継いでいるかもしれないが、今は料金の支払いとかコピーぐらいしか用事が無いので、どんなラインナップなのか知らない。
セブンイレブンがアメリカ映画によく出てくるような、ガソリンスタンド併設型のコンビニを運営する会社、スピードウエー(マラソン・ペトロリアム)を210億(約2兆円)ドルで買収したのは、海外展開に活路を見出さなければならないくらい追い詰められているのだろう。勝機があってこその巨額買収だろうが、記事にあるように、ネット通販の拡大と電気自動車(EV)の普及が進めば、かなり苦しくなるのではないだろうか。ただ、どちらもコロナが収束した後の話。


2020年7月30日(木) 毎日新聞22面掲載 地域欄より

今後からは、お昼に銀行へ行っても窓口が閉まっているため、お昼休みの時間を外して行かないと無駄足になってしまいそうだ。ATMで済む用事ならば何も心配ないが、窓口でなければできないこともあるので、不便になるのは間違いないだろう。「今のところ、利用客から苦情の声は上がっていない」と記事にはあるが、本当だろうか?
会社勤めをしていた頃は、振り込みをするために、貴重なお昼休みの時間を割いて銀行や郵便局に行っていた。お金を引き出すのは、17時以降でもできるが、窓口への振り込みは17時迄なので、お昼休みの1時間しかチャンスが無い。当然、昼食抜きは覚悟の上だ。お昼休みの時間帯は、他にも同じような勤め人がいて、事務服を着た女性やスーツ姿の男性、自分のような作業服を着ている人がたくさんいた。金曜日ともなれば、窓口が混むので、時間内に戻れるかどうか、ハラハラしながら待っていたものだ。月末の金曜日であることや年金支給日であることを忘れていた日などは、待ち時間のあまりの長さにびっくりして、諦めて帰らざるを得ない時もあった。
自分は、そう頻繁に用事は無かったが、お昼も窓口が”開いているに越したことはない”のが、利用者の正直な意見ではないだろうか。そこで働いていらっしゃる行員の方の福利厚生の確保も大切なのだろうが・・・。そりゃあ、誰しもお昼ご飯はお昼の時間に食べたいわな・・・。午前の仕事が終わって、お昼ご飯を食べることが唯一の楽しみであって、あくまでも会社にはお昼ご飯を食べに行ってるようなもんだから、午後からの仕事の頑張りもいかに充実した昼休憩が取れるかにかかっている。
不動産屋なんて昼休憩どころか、休憩という概念が無く、お客さんが居なければ休憩みたいなものですなくても仕事をしています。ただ、誤解のない様にこの場ではっきり申し上げておきたいのは、周りから見えているような“お気楽な商売ではありません”よ。いや、本当に。平然としているように見えても、心の中は不安で一杯だったりするもんです。見えないところで大汗かいていたりします。脇汗、冷や汗、脂汗、背中の汗、どうしようどうしようって。こういった類の商売している人は規模の大きい小さいが、そのまま悩みの大きい小さいになるけど、実態はそんなもんですよ。特に今の時期は。佐野不動産(宇部市の。周南市の大先輩は盤石です!)みたいな吹けば飛ぶような不動産屋なんざ、毎月毎月が勝負ですから。来年も続いているかどうか・・・。


2020年7月26日(日) 毎日新聞6面掲載 総合欄 もとをたどればより

太田胃散」「ありがとう い~いくすりです」このキャッチコピーは、私が生まれてから40年以上も脳内に刷り込まれ植え付けられてきたフレーズだ。太田胃散と言われたら、条件反射的に「い~いくすり」という言葉が出てくる。私の年代は誰でもそうではないだろうか。断っておくが、私は太田胃散の関係者でもなければ、この薬の愛用者でもないし一度も服用したことがない。幸い、胃腸薬のお世話になることがあまり無いので、というか、常用している薬がまったく無いので、いまのところは関係ない。
記事によれば、創業者の太田信義氏は明治維新を機に武士から商人に転じ、初めは東京日本橋で米や油、書籍の販売をしていた。とある。抜群の商才と非凡な眼力のある方だったのであろう。明治の夜明けとともに、侍階級は新たな収入を得る手段を獲得する必要に迫られるが、その多くは、武士→商人の転身に失敗し、そして商売そのもので失敗する。所謂、殿様商売の語源である。
私が凄いと思うのは、佐野君のよろしくない脳内にさえ、このフレーズを埋め込むことに成功している太田胃散のすばらしさと、胃腸薬だけで勝負をしている一貫性にあることだ。
今までの時代の流れの中で、色々とよそ見をしたこともあったかもしれないが、社名の太田胃散を主力の商品名にしているだけの自信は、歴史の長さがそれを裏付けているにちがいない。
創業から140年・・・。長寿企業だ。「太田胃散」これからも「い~いくすり」を売ってください。


2020年7月22日(水) 毎日新聞7面掲載 経済欄より

これからはもうロボット店員の時代になるだろう。どこの店に行っても、どこの会社に行っても、人の姿形をした(見た目はとびっきりの美男子であり美女であるだろうが)AIが対応することになる。まだまだ人による遠隔操作が行われるということみたいだが、AIに移行するのは時間の問題だと思う。なぜなら、AIであれば顧客それぞれに対応したきめ細かい至れり尽くせりなサービスが可能であるから。対応するというのは、特定の個人の癖や思考にも対応できるということだ。蓄積された膨大なビッグデーターから導き出された、それは非の打ちどころが無く、気持ち悪いくらい完璧な対応だろう。
何気なく買い物に行っても、ロボット店員が「佐野様、新商品の〇〇が何日後に入荷いたします。必ずや佐野様のお気に召されることと思われますが、ご予約をお取りしておきましょうか?」とか、飲食店だと「恐れ入りますが、佐野様のお体の状態からですと、〇〇のメニューを注文されたらいかがかと”ご提案いたします”」と気持ちよく誘導される。気づかないうちに行動のパターンをコントロールされ、ロボットに使われている状態に陥る時代になるかもしれない。
経営者はロボットの導入維持費用と人件費および人間管理のコストを比較し、経営パフォーマンスの高いほうを選択するだろう。どこまで人間力に依存しなければならないかは、業種や業態によって差はあるが、ロボットで代替可能ならばコスト的に高くつこうとも、ロボットを選択するのではないだろうか。人間を管理するにも人間が必要だが、ロボットならば、人間1人(経営者)とロボット5体というのが可能だからだ。私なら24時間365日文句を言わずに働いてくれるロボットを採用する。故障や不具合といった問題も発生するだろうが、その頃にはロボットリースなる会社が存在しているだろうから、リース会社に連絡(それもロボットが自動でやってくれる)すればすぐに対応してもらえるはずだ。私が窓口に立つと、お客様からすればクレーム満載だろうが、ロボットにお任せすればそのような心配も無い。
ロボット導入により、人手不足や接客レベル、クレーム対応などの問題の多くが解消されそうだ。では、何で他社や他店と差別化を図るのか。人間であることの必要性は何か?人間でないとできないこと、さらには、その人でなければできないことは何か?それが勝敗の分かれ道になるだろうと思う。


2020年7月21日(火) 毎日新聞7面掲載 経済欄より

中国のラッキンコーヒーがどんなコーヒー屋かは知らないが、北京に第1号店を出してから、2年と半年間で6900店舗も拡大するというのは、中国という大国が日本の25倍の面積を持ち、約10倍もの人口を抱えるといえども尋常とは思えない。
毎日約7.5店舗も新規店が開店しているからだ。
記事によれば、拡大路線を取り、他社を駆逐し、寡占化したのちに、じっくり利益を回収してゆくというビジネスモデルみたいだが、仮に、街に珈琲店が1店しかないとするならば、珈琲店でコーヒーを飲みたい人は他に選択肢が無いので、必ずそこで飲むことを択ぶ。現実的には、コンビニとかファミレスとか最近ではスーパーの一角で飲めたりするので、完全な独占というのは起こりえない。商売を営む者にとって、その街に自分の店しかない状態というのは理想の姿である。程度の問題もあるだろうが寡占化・拡大路線が必ずしも間違っているとは限らない。
あまり行き過ぎた拡大をしてしまうと、ステーキハウス屋さんのようになってしまうが、後であ~だ、こ~だと論ずるのは誰にでもできるわけで、成功すれば経営の神様だと持て囃されるが、失敗すると極悪人のように貶められるのは、毀誉褒貶の激しい、世知辛い世の中の常であろうか。
無借金で、自己資金のみでやるには問題は無いだろうが(それはそれで別の問題が存在する)、経営の規模が大きくなるにつれて、出資者なり融資者なりが存在するようになるわけで、経営者はそういった人たちの期待に応える義務がある。出資者には少しでも多くの配当を与え、融資者には利息と元本の返済義務があり、会社は利益を出し、従業員さんの雇用も守らねばならず、それができなければダメな経営者と判断され、簡単に入れ替えられてしまう。まるで部品のように。
だから、そのような”聞こえない声に”押され、拡大路線を”取らざるをえない”状況に追い込まれている場合もあると思う。
少なくとも、拡大しているときは(それが自転車操業であろうとも)会社が発展しているという”錯覚”を起こすから、店舗数とかシェアとか総売上高が大きければ、実態はともかく、成功していると判断される。
この投稿は後日追加訂正するかもしれません。


2020年7月15日(水) 毎日新聞1面掲載 余録より

誰もが憧れるスクリーンの向こう側の俳優が、自分の成功に疑いを持ち、自己不信に陥っている状態で演じていると思うならば、その映画やドラマの観かたが変わるかもしれない。それは、中身が虚構の人間が劇という虚構を演じているからだ。それとも、まずは自分を欺かないと、演じるということはできないのであろうか。
詐欺師という人種がそうである。人を騙す人間は、まず己自身を騙す。完全に自分を騙すことに成功しないと、完全に人を騙せないからだ。詐欺師にレベルというものがあるとするならば、どこまで自分を欺けたかでレベルの高低が決まる。
宗教家であるとか独裁者がそうであるように、自分の思考にも行動にもまったく疑いを持たずに命をかけて貫徹できる者こそが、何か大きな大事業を成せるのかもしれない。
詐欺師は死ぬまで自分自身を騙し続けることができるかどうかにかかっているので、そこに疑いを持った瞬間、詐欺師は破綻する。詐欺師の末路はどれも悲惨なものであるらしいが、いつかは”自分に騙された自分”が”自分を騙してきた自分”に牙を剥いて襲い掛かってくる時がくるのだろう。それは考えただけで怖ろしい話ではあるが・・・。
誰しも嘘はつく。嘘も方便という言葉どおり、それが臭みにならない程度ならば、人間関係の良好な潤滑油としての役割を果たしてくれるものである。
1つの嘘を隠すためには、3つの嘘をつかねばならないという。嘘つきは自分のついた嘘をすべて記憶しておかないと、収拾がつかなくなる。嘘まみれの人間になる。すべては1つの嘘から始まる。口は禍の元。用心用心。


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