• ひとりでのんびりやってます。

かに人生十訓

一、まず挨拶は    ほがらかに
一、お陰さまでと   しとやかに
一、心はいつも    おおらかに
一、気配り肝心    こまやかに
一、人間関係     まろやかに
一、振る舞う姿は   たおやかに
一、夢と希望は    たからかに
一、ときには装い   あでやかに
一、いつも家庭を   うららかに
一、若さいつまでも  すこやかに

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり      『平家物語

祇園精舎(※1)の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹(※2)の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらえば、秦(しん)の趙高(ちょうこう)(※3)、漢の王莽(おうもう)(※4)、梁の朱异(しゅい)(※5)、唐の禄山(ろくさん)(※6)、是等(これら)は皆旧主先皇の政(まつりごと)にもしたがわず、たのしみをきわめ、諫(いさめ)をもおもいいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁(うれう)ところをしらざしかば、久しからずして、亡(ぼう)じにし者どもなり。
近く本朝をうかがうに、承平(しょうへい)の将門、天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)、康和(こうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいじ)の信頼(しんらい)、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅(ろくはら)の入道前太政(にゅうどうさきのだじょう)大臣朝臣(あそん)清盛公と申し人のありさま、伝承(つたえうけたまわ)るこそ心も詞(ことば)も及ばれね。

※1 祇園精舎=釈迦およびその弟子のために建てられた僧房。
※2 沙羅双樹=釈迦が涅槃にはいるとき、その四方に二本ずつあったといわれる沙羅樹。
※3 趙高=秦の始皇帝に仕えたが始皇帝死後その長男を殺し実権を握るが結局殺される。
※4 王莽=前漢、官から出世、娘を帝の皇后とし、後帝を毒殺し、政権を握るが、反乱が起こり殺された。
※5 朱异=梁の武帝の臣。一時権勢を誇ったが、国を亡ぼしてしまう。
※6 禄山=安禄山のこと。唐の玄宗に認められるが、楊貴妃の兄と対立。乱を起こし、長安を制するが、後、息子に殺される。

人の一生は、重き荷を負うて      徳川家康(伝)

一、人の一生は、重き荷を負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし。
一、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
一、堪忍は無事長久の基。
一、怒りを敵と思え。
一、勝つことばかりを知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
一、己を責めて、人を責むるな。
一、及ばざるは過ぎたるに勝れり。

【所感】
徳川家康(伝)ということだが、いかにも家康公らしい言葉である。この言葉が後世の創作であろうが、実際に家康公が仰ったのかは特に問題では無い。誰が云おうとも、その言葉から何かを感じ取り、感銘を受け、厳しい人生を生き抜いてゆく道具としたならば、その人は人生で一つ大儲けをしたのだと断言できる。私はそう思う。
自分は正しく生きて(いるつもりで)いても、人生には避けられない事が数多く存在する。未来の事は誰にもわからないから、目の前の選択肢や分岐点の中から、これが正解だろうと思う道を択び進むしかない。
ただ、できることならば、この言葉が表すように自分が原因で起こりうる不幸や失敗は避けたいものだ。
人生を語れるほど人生を生きていないヒヨッコ青二才ではあるが、私はそう思う。

われわれが人生を短くしている      セネカ

大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう、というのである。このような、彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群衆だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持が嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでも最も偉大な医家の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。
それゆえにこそ、アリストテレスも自然を相手どって、賢者には決してふさわしくない告訴を行っている。「寿命という点では、自然は動物たちに人間の五倍も十倍も長い一生を引き出せるように許しておきながら、数多くの偉大な仕事のために生まれた人間には、遙かに短い期間しか存続しない」と。
しかし、われわれは短い期間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩(ほうとう)や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応(いやおう)なしに気付かされることは、今まで消え去っているいるとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。
全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬(またた)く間に霧散してしまうが、たとえ並の財産でも善い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配(あんばい)する者には、著しく広がるものである。

【解説】
生を終えるときに、「ああ、この人生辛かった」という気持ちになることほど悲しいものはない。やはり、「短い人生だったけど、いい人生だった」といえるようにしたいものである。
ところで人生の長さはさまざまであるが、この世に与えられた一秒一秒の長さは生きている人間全員に平等であり、その意味では時間ほど公平なものはないといえる。
問題はそれをどう使うかだ。
セネカは放蕩はよくないと言っているが、私は必ずしもそうは思わない。この世に生を受けて、とことん遊び倒して人生を思うように過ごしてやるというのも一つの生き方だと思う。考えようによっては、酒や博奕や女に精力を使うのも放蕩なら、学問に使うのも、冒険やスポーツに使うのも放蕩である。自分の好きなことに精力を使っているのだから、大差はない。要は与えられた平等な時間を何のために使うのかということを自分で決めて生きてゆく姿勢である。

われ、事において後悔せず      宮本武蔵

一、世々の道にそむくことなし
一、身に、たのしみを、たくまず
一、よろづに依估(えこ)(※1)の心なし
一、身をあさく思い、世をふかく思う
一、われ、事において後悔せず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いづれの道にも、わかれを悲まず
一、れんぼの思ひに、寄るこころなし
一、わが身にとり、物を忌むことなし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、一生のあいだ、よくしん(※2)おもわず
一、こころつねに道を離れず
一、身をすてても名利はすてず
一、神仏を尊んで、神仏を恃(たの)まず

※1 依估=頼りにすること。またはえこひいきすること
※2 よくしん=むさぼる心

【解説】
人間が成長するのは、すべてについて反省するからである。
過去現在における自分の言動を、かえりみて静かに点検する。
そして今後はあやまちの少なからんことを願う。
これからはもっと賢く世に生きようと決意する。
つまり、反省は前向きだから意味がある。
反省の度がすぎて後悔となり、後悔の念が深すぎると、
だんだん自己嫌悪におちいる。
自分はなんと馬鹿なんだろうかと落ちこむ。
後悔は未来への発条(ばね)にならない。
後悔は人間を奮いたたせてくれないのである。
明日に向かって反省はするが、昨日にこだわる後悔に沈みこまない。
ここの兼ね合いに処する智恵が、人生に意慾を生むであろう。
人間は感情の動物である。その感情のうち最も強く、
万人に洩れなく共通するのは、それはおそらく嫉妬であろう。
嫉妬しないと言う人は嘘つきである。
自分は嫉妬しないと思っている人は自己欺瞞のかたまりである。
人の世は嫉妬で動いている。
嫉妬はかならず紛争を生む。たえまなく攻撃が行われる。
まことに迷惑なことである。
しかし世の中はよくしたもので嫉妬の感情は、
嫉妬している当の本人の内面をむしばむ。
嫉妬の強い人は性格が暗くなる。トゲトゲ、イガイガ、扱いにくい性格となる。
つまりは人に嫌われる。
世に処する心得の要は、人に好かれることである。
人に嫌われたくなかったら、嫉妬をできるだけ抑えこむしかないのである。

鉄舟二十則      山岡鉄舟(伝)

一、嘘いうべからず候
二、君の御恩は忘るべからず候
三、父母の御恩は忘るべからず候
四、師の御恩は忘るべからず候
五、人の御恩は忘るべからず候
六、神仏並びに長者を粗末にすべからず候
七、幼者をあなどるべからず候
八、己に心よかざることは他人に求むべからず候
九、腹を立つるは道にあらざる候
十、何事も不幸を喜ぶべからず候
十一、力の及ぶ限りは善き方につくべく候
十二、他を顧(かえり)みずして自分のよきことばかりすべからず候
十三、食するたびに稼穑(かしょく)(※1)のかんなんを思うべし すべて草木土石にても粗末にすべからず候
十四、ことさらに着物をかざり あるいはうわべをつくろうものは 心に濁りあるものと心得べく候
十五、礼儀を乱(みだ)るべからず候
十六、何時何人に接するも客人に接するように心得うべく候
十七、己の知らざることは何人にてもならうべく候
十八、名利の為に学問技芸すべからず候
十九、人にはすべて能、不能あり いちがいに人をすて或は笑うべからず候
二十、己の善行を誇り顔に人に知らしむべからず すべて我が心に恥ざるに務むべく候

※1  稼穑=農作業

【解説】
第一に「嘘いうべからず」が掲げられていることに注目したい。なぜなら、嘘をつくほど、人生にとって損はないからである。
嘘をついた以上は、それがバレないために、言ったことのすべてを隅々まで明確に覚えておかなければならない。となると、すごい記憶力が必要である。しかも今度いつ聞かれるか分からない。聞かれもしない極めて不確かなことに、大切な脳を働かせておかなければならないとは、何というムダ遣いか。もし本当のことをしゃべっていさえしたなら、そんな労力も心配も要らない。
とすれば、嘘を言うことは、いいか悪いかは別にして、本当のことを話すことと天秤にかけたら、非常に労力の要ること、絶対的に損なことは明白である。

人は練磨により仁となる      道元

玉(たま)は琢磨(たくま)によりて器(き)となる、人は練磨により仁となる、何(いずく)の玉かはじめより光有る、誰人(だれびと)か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練(ね)るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。

【意訳】
玉は磨くことで初めて価値がでる。人も自らを磨き鍛錬して初めて真の人となる。世の中に初めから光り輝いている玉があるだろうか、初めからすぐれた働きをする人がいようか。とすれば、必ず磨き、鍛錬すべきである。決して能力や素質がないと自らを卑下して道を学ぶ努力を怠ってはいけない。

天といえども      菜根譚

天、われに薄くするに福をもってせば、われ、わが徳を厚くしてもってこれを迎(むか)えん。
天、われを労するに形をもってせば、われ、わが心を逸してもってこれを補わん。
天、われを扼(やく)するに遇をもってせば、われ、わが道を亨(とお)らしめてもってこれを通ぜしめん。
天かつわれをいかんせん。

【意訳】
もし天が私を冷遇しようというのなら、私は自分の人格をみがくことによって幸福をかちとろう。
もし天が私の肉体で苦痛を与えようとするならば、私は心の平安によって免れてみせよう。
もし天が私にさまざまな障害を与えて人生を妨げようとするならば、私は真理の力によってこれを通り抜けてみせよう。
天といえども、こんな私をどうすることもできまい。

【所感】
新型コロナウィルスの蔓延により、私たちの生活は大きく様変わりした。そして、人の心や考え方にも大きな変化をもたらした。未だ完全なる収束の気配はみられない現在(2020年7月12日時点)、遠くまで見通せない霧の中を歩いているようだ。
戦争でもない、経済恐慌でもない(コロナが直接の原因ではない)、この未曽有の事態に、我々はどう立ち向かっていけばよいのだろう。
外出の自粛やソーシャルディスタンス、3密の回避といった新しい言葉や概念が生まれた。これからは人との接触が希薄になる新しい時代の幕開けなのだろうか。
で、あるからこそ、この状況にしかできないこともあるのではないだろうか。
今までは外に解決策を求めていたことから、自分の内なる声に耳を傾ける機会ではないか。今できることは何か?自分の中に、忘れているもの、ほったらかしにしていたものはないか?そこに目を向け、向き合うことができれば、驚くほど簡単に新たな発見をするにちがいない。

十少十多の健康訓      二木謙三

食うこと少なくして 噛むことを多くせよ。
乗ること少なくして 歩くことを多くせよ。
着ること少なくして 浴びることを多くせよ。
悶ゆること少なくして 働くことを多くせよ。
怠けること少なくして 学ぶことを多くせよ。
語ること少なくして 聞くことを多くせよ。
怒ること少なくして 笑うことを多くせよ。
言うこと少なくして 行うことを多くせよ。
取ること少なくして 与えることを多くせよ。
責めること少なくして 誉めることを多くせよ。

自省のための十条      伊藤東涯

一、 朋(とも)(※1)を択ぶこと必ず精(くわし)うして、少しも悪を習うこと勿れ。
二、 学術必ず実(※2)にして少しも浮靡(ふび)(※3)なること勿れ。
三、 荘敬(※4)必ず粛(つつし)み、少しも愉惰なること勿れ。
四、 言語必ず慎み、少しも暴慢なること勿れ。
五、 考慈(※5)必ず勤め、少しも忽略(こつりゃく)(※6)すること勿れ。
六、 競てき(※7)必ず励み、少しも時を費やすこと勿れ。
七、 疾病必ず謹み、少しも体を傷(そこな)うこと勿れ。
八、 義を見て必ず遷(うつ)り、少しも猶予すること勿れ。
九、 富貴必ず軽んじて、少しも慕羨すること勿れ。
十、 貧賤必ず安んじて、少しも憂戚(※8)すること勿れ。

※1 朋=友達・学友
※2 実=実質の伴ったもの
※3 浮靡=表面的にだけ華やかで実質の伴わないもの
※4 荘敬=おごそかでうやうやしいこと
※5 考慈=考は孝と同じ意味。よく父母に仕え、子孫を慈しむこと
※6 忽略=おろそかにすること
※7 競てき=おそれつつしむこと
※8 憂戚=憂えいたむこと

心に感じて為す事は     新井白蛾(はくが)

言葉花咲く(※1)ものは 心かならず実なし。
口に蜜を造る(※2)者は 心かならず針あり。
みだりに誉(ほこ)る者は みだりにそしる。
みだりに悦(よろこ)ぶものは みだりに悲しむ。
利欲に耽(ふけ)るものは 長く人倫の道を失う。
色欲に惑うものは 時に親戚(父母、養父母)にそむく。
文妄(ぶんぼう)(※3)にして邪智有る者は 人の害をなす事多し。
書を読(よみ)て邪智有るものは 国の大義を害す。
心に感じて為す事は 末を遂げて成就す。
気に感じて始(はじま)る事は 暫くにして消散す。

※1 言葉花咲く=言葉を飾ってうまく言うこと
※2 口に蜜を造る=甘い言葉を言って誘うこと
※3 文妄=語句に偽りがあること

心に物なき時は      上杉謙信

心に物なき時は、心広く体泰(ゆたか)なり。
心に我慢(※1)なき時は、愛敬失わず。
心に欲なき時は、義理を行う。
心に私なき時は、疑うことなし。
心に驕(おご)りなき時は、人を敬(うやま)う。
心に誤りなき時は、人を畏(おそ)れず。
心に邪見なき時は、人を育つる。
心に貪(むさぼ)りなき時は、人に諂(へつら)うことなし。
心に怒りなき時は、言葉和(やわ)らかなり。
心に堪忍ある時は、事を調(ととの)う。
心に曇りなき時は、心静かなり。
心に勇ある時は、悔やむことなし。
心賤しからざる時は、願い(※2)好まず。
心に孝行ある時は、忠節厚し。
心に自慢なき時は、人の善を知り、心に迷いなき時は、人を咎(とが)めず。

※1 我慢=我意を張ること。
※2 願い=僥倖(ぎょうこう)